張保皐に関する記録は韓国よりも中国や日本の文献によく残っている。張保皐が生存していた当時の唐の有名な文章家・杜牧(803~852年)が書いた『樊川文集』巻6「張保皐・鄭年伝」に彼のことが詳しく書かれており、中国正史『新唐書』にも杜牧の記録を引用して張保皐のことが書かれている。 日本では、『日本後紀』、『続日本紀』、僧侶円仁(794~864年)の『入唐求法巡礼行記』などにその記録が残っている。中国と日本の記録では、一様に彼の素晴らしい人柄とその功績が高く評価されている。 韓国の記録としては、『三国史記』と『三国遺事』をはじめ多くの文献で張保皐が紹介されている。 このように同時代の3国の正史に載っている人物は、韓国史上でも例のないことである。
樊川文集
- 唐の文章家・杜牧(803~852年)の文集である。この本の巻6張保皐・鄭年伝に張保皐と鄭年の伝記が収録されている。 張保皐と鄭年について記録した最初の文献である。

入唐求法巡礼行記
- 日本の僧侶・円仁(838~847年)が唐の仏教聖地を巡礼して書いた旅行記で、合計4冊となっている。韓国と関連のあるのは第2巻と第4巻で、なかでも第2巻に当時清海鎮大使の張保皐が建てた赤山法華院に関する話が出てくる。この本は、9世紀前半の北東アジアの情勢を記録した政治史で、仏教史の一面を伝える貴重な資料となっている。
三国史記
- 1145年 (仁宗23年)金富軾などが王の命令を受けて書いた三国時代の正史である。なかでも新羅本記巻第10と新羅本記巻第11、三国史記巻44(列伝第4)に張保皐大使と鄭年に関する記録がある
